1000文字書いたら寝る1

今日は1000文字書いたら寝ようと思う。また思いついたことから書いていくので、オチつかなかったりするけれど、流れるように思考を吐き出すことが目的なのだから、許されて欲しい。

 

早速筆が止まる。どうして止まったかというと、流石に変な表現だなとか、この文章意味が分からないなとか、そういうのもあるけれど、何より大きいのが、これって、人に伝わったら良くないよねという、コンプライアンス的なサムシングだと思う。サムシングってなんだよ、いくつかの何かって言えよと思うかもしれないが、頭の中に最初に出てきた言葉を発すると時々こういうことも起きるのである。

 

どうしようかな。あ、そういえば町をあるいているときに、時々人がN人いて、彼らの軌跡が~みたいなよく分からん独り言をぼやきたくなるのだけれど、そういう雑談にならない雑談を話せる人ってこの世に何人いるのだろうか。もしいたら交流したいなと思いつつ、そういうのって自分の頭の中でやったらよくない?とも思うので、思うだけにしておく。

 

あ、本当に話題が無くなっちゃった。中身が何も出てこないとき、存在しないということが存在するみたいなメタな話に持って行きがちなんだけど、人々とお話しているときは大抵日常的な体験、アニメやゲームなど共通の趣味の共有などが多いと考えられるため、なかなか大衆とはひどく個性的なものだと思うことがある。というのは嘘で、僕はズレているんだなあと感じやすい。

 

そういえばこの前は才能について悲観していない(むしろ頑張っていないことに対して後ろめたさがある)という類のことを書いていたようないなかったような気がするけれども、それについては「幼少期にできないことが多すぎて、周りの普通と呼ばれる人たち95%を天才だと思い続けてきたので、今更突出している人を見ても驚かない」という答えが正確かもしれない。驚き慣れているというか、悲観を通り越して諦めに近い。しかしながら、人生であれ才能であれ、諦めたものに情けはやってこないものである。いや、正しくはそういう風に自分を責めてしまうのである。

 

まあネガティブなことばかり言っていても仕方がないような気もしてきたので…ふと思いついた。そうそう、こういう風に思っていた方がいいよと分かっていても、僕は自分自身の抱いた気持ちを無かったことにはしたくない、後ろの足跡もしっかり認めたいと思うタイプだと思う。それを人に発することは滅多にないけれど、ふと思った「なんとなくいい、悪い」の感覚というのは、隠れた目的を引き出す重要なキーだったりする。だから、それに対して「良い・悪い」と考えるよりも、事実として一旦「そういうこともあるんだなあ」と受け入れておけばいい。そうすると、数年後に「あ!あのとき自分が思っていたのはこういうことだったのか」って思う時が来る。

 

今までそうやって「自分なりの正解」を辿ってきたように思う。今はできないことが多すぎて、迷惑をかけまくっている感じがして、しんどいときもあるけど、それは「僕も人並みに苦しいという感情や、プレッシャーという感情を体験することができたな。」と思って、内心知見を深められたという喜びさえ感じていたりする。まあ現状をそのままにしておくと行きつく先は堕落なので、そうならない程度には漕いで過ごしたいと思う。

 

ああ眠くなってきたな。もういつの間にか1400文字になろうとしている。おやすみなさい。また明日。